拘り(こだわり)に効率性を求められるか?

Pocket
LINEで送る
GREE にシェア
LinkedIn にシェア

職人というプロフェッショナルさを追求する事は、完璧を求めて、拘るワケだけれど、

時間をかける=拘る

ではないと思う。

妥協しない事が拘りなのか?

妥協を進めるわけでもないが、より良くする努力は絶対に必要。

良くする事で、行った行為は、効率の追求という点で、やった本人のスキルになる。

考えなければならないのは、

良くするという工程を、どういう場面で活かせるか

をイメージできる事。

理論的に考えてみた

一つの箇所で、拘った結果、二倍の時間が掛かったとしても、

別の箇所で、同じ事が出来たなら、二つの仕事を二つ分の時間でこなせて、プラマイゼロ

もちろんこの二つの箇所のクオリティが違いすぎるのは問題だが、

「素人目に見てもあまり良くわからな、職人だけが理解できる拘り」

これに対して、時間を二倍かける職人の作業を例に考えてみると、

これを無駄というワケではなく、価値観の考え方の一つとして、

「拘る1箇所」「拘らない2箇所」では、成果は2倍と捉えられる。

確かに、こだわった分だけ、クオリティが高いというのであったとしても、量においては、差が生まれる

上乗せされるスキルという経験

さらにここに、作業者のスキルがついたということで、通常の仕事をして、知識と経験を得られた。

拘ることで、捨てている部分は確かにあるのだ。

拘りの先を見据える必要もあるかもしれないが、見極める力も必要。

「効率よく拘れ!」

Leave a Reply

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です