職人というプロフェッショナルさを追求する事は、完璧を求めて、拘るワケだけれど、
時間をかける=拘る
ではないと思う。
妥協しない事が拘りなのか?
妥協を進めるわけでもないが、より
良くする努力は絶対に必要。
良くする事で、行った行為は、効率の追求という点で、やった本人のスキルになる。
考えなければならないのは、
良くするという工程を、どういう場面で活かせるか
をイメージできる事。
理論的に考えてみた
一つの箇所で、拘った結果、二倍の時間が掛かったとしても、
別の箇所で、同じ事が出来たなら、二つの仕事を二つ分の時間でこなせて、
プラマイゼロ。
もちろんこの二つの箇所のクオリティが違いすぎるのは問題だが、
「素人目に見てもあまり良くわからな、職人だけが理解できる拘り」
これに対して、時間を二倍かける職人の作業を例に考えてみると、
これを無駄というワケではなく、価値観の考え方の一つとして、
「拘る1箇所」「拘らない2箇所」では、成果は2倍と捉えられる。
確かに、こだわった分だけ、クオリティが高いというのであったとしても、量においては、差が生まれる
上乗せされるスキルという経験
さらにここに、作業者のスキルがついたということで、通常の仕事をして、知識と経験を得られた。
拘ることで、捨てている部分は確かにあるのだ。
拘りの先を見据える必要もあるかもしれないが、見極める力も必要。
「効率よく拘れ!」