エンジニアで世の中の平均年収より少ない人の話

2020年1月23日

日記

子供の頃、誕生日にホールケーキを家族全員で切り分けた時に、自分のが小さいとダダをこねた経験のある、ユゲタです。 人より自分のほうが小さいと、やっぱり気になる人、子供の頃であれば、親や兄弟に対して愚痴を言えば、何でも思いのとおりになるのですが、社会人になるとそうもいきません。 年間でいろんな雑誌や、人材バンク業界、インターネット調べなどで「エンジニアの言語別平均年収」なるものが、世界中や日本国内でのリサーチ結果として、掲載されています。 まさに仕事でプログラミングをしている人は、興味津々で見て、「自分が平均より上だった」だの、「同じ言語で半分しかもらっていない」だの、一喜一憂して盛り上がっている風景が思い浮かびます。 そして、僕の後輩で、そうした話をしてきた時の事を思い出しました。

エンジニアの平均年収は当てにならない現状

自分と同じ仕事をしていて、その平均年収が、自分よりも低かったら、おそらく大体の人は「自分はラッキーだ」と思うでしょう。 逆に、自分の年収の方が少なかった場合は、「世の中不公平だ」と少しぐらいは感じてしまうことでしょう。 でも、それって、同じプログラミング言語で仕事をしていても、もらう給料に差があるのは当然といえば当然であると認識できている人と、そうではない人がいて、 後者は、とんでもないモンスターになる可能性も秘めています。 だって、きっとその会社には同じ仕事をしている人が、他にも何人かいて、同じ給料をもらっていないケースも少なくないでしょう。 それを、不当だとして騒ぎ立てたる人も少なからずいるわけです。 その調査が嘘を書いているわけではなく、よく考えると、平均年収なのだから、複数人の給料を足して人数割しているので、必ず、多い・少ないは、存在しているんですね。 自分はその多い側に属しているのか、少ない側に属しているのかを認識する統計値だと考える程度に留めておきましょう。 間違っても、そのプログラム言語を習得して、それで仕事をしているとしても、平均年収の数値ぐらいは、最低もらえると勘違いしないようにしないとね。

当てにならない資格制度

これと似たような話で、国家資格や、検定資格があります。 資格を取得しておけば、一生モノだとばかりに勉強をして資格取得をしたはずが、結果全然違う仕事をしている人も少なくないでしょう。 その資格を使った仕事をしていたとしても、満足な給料をもらえていない人も、世の中にはたくさんいるでしょう。 ここで改めて必要に感じるのは、自分の金銭感覚という価値観と仕事に対する対価を他人と共有できるかどうかのスキルという点です。 エンジニアがフリーランスになって、自ら仕事を取りに行く事になって、まずはじめに悩む点として、自分の仕事の対価をいくらで見積もるかという、自己評価です。 ここでは、世間一般的な値付けとの比較も必要だし、自分を高く表示してもらいたい場合は、そのプレミアム感を見積もりを提出する相手に対して提示しなければいけません。 多くのエンジニアは、プログラムコードは問題なくかけるけど、自分の利点を作文して、それに値付けをするという事は苦手な人が多いという事です。 結果、誰かに値段をつけてもらって、労働集約的な業務について、まるでサラリーマンと変わらない生活を送ってしまう人も少なくないのだそうです。 オラクルの資格や、サーバーの資格など、たくさんもっていても、こうした自己評価ができなければ、自分を売り込むことは難しいという事ですね。

将来の安定と今の自分の比較

終身雇用が崩壊している日本経済では、年金制度も、健康保険も、自己貯蓄も、将来的な保証や安心は、今現在の時点でまるでありません。 少し言い過ぎですが、将来的にこうした安定するはずの制度は、崩壊する可能性も少なからずあるため、そうなってしまったときに、自分でなんとか出来る人と出来ない人の2つに分かれることは目に見えています。 それでは、自分でなんとか出来ない人というのは、きっと泣き寝入りするしかできないのですが、何とか出来る人になるにはどうすればいいでしょう? お金に関しては、自ら生み出すことが出来る人は、将来的にお金に困らず、こうした制度崩壊にも全く影響されずに過ごすことができるタイプの人であるといえるでしょう。 もちろん、誰でもそうできるわけではなく、そうした経営・経済能力を身に着けている人だけなのかもしれませんが、 少なくても、平均値に左右されて右往左往する人ではない人とも言えます。 オイルショックの時に、世の中の動きに合わせて、トイレットペーパーを買い漁る人ではなく、オイルショックとトイレットペーパーは関係ないと、気がつく人がそれかもしれません。 確かに、人間は将来のことがわからないから不安になり、いろいろな保険をかけて安心したがる生き物かもしれません。 保険業界を活発化させている点も、そうした背景があることもよく理解できますが、平均を追っている人が入っている保険は、恐らく、多くの人が利用するという事を考えると、大多数の人が将来不安定になった時に、一番真っ先に崩壊するのが、保険の支払であると想像してみると、果たして保険ってどうなのか、疑問に考え始めるきっかけになるかもしれません。 生命保険や、災害保険に入る事が間違っているという事ではなく、保険に入っていれば安全という思い込みを今一度見直してみてはいかがでしょうか?という問いかけだと考えてください。 この「保険」という言葉を、「眼の前の自分の仕事」に置き換えて、少し咲きを見据える力を養ってみませんか? 少なくとも、行列に並びがちな日本の実態が少しおかしく見えてくる人もいるかもしれませんね。

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