マッチ売りの少女は何故マッチが売れなかったのか?

2015年11月18日

マーケティング 学習

おとぎ話で有名な「マッチ売りの少女」は、最後には女の子が亡くなって、天国のおばあさんと一緒になるという、フランダースの犬的なオチなのですが、 そもそも、少女は、マッチが売れていれば死なずに済んだのでは無いかという疑惑が持ち上がってきた。

そもそも売るものはあった

何もなくて路頭に迷っていたわけではなく、マッチという売るものがあり、売れないという事で、暖をとるために、マッチを擦ってしまうのだが、果たしてきちんと売ることはできなかったのだろうか。 もちろん、この話は、少女が、寒い雪のひに、営業活動をするという無謀なチャレンジであることは、揺るぎない設定なのだが、世界観の不思議な点としてはそれだけでは無い。 夜遅くに少女が屋外にいたら、まともな大人であれば気がつくはずなのに、この話では節穴だらけの大人しか歩いていない設定なのだ。

売り方に問題あり

「誰か、マッチを買ってください」 言いながら、マッチを差し出しても、朝の駅前でタダで配っているティッシュよりも、もらってくれるはずも無い。 現代日本では、路上のティッシュは当たり前となっているが、あれは、日本が発祥で、年間40億個も配られているんだと。 それにひきかえ、マッチを有料で買う人は時代が違えど、ニーズが感じられない。

手段を選ばず売る方法

過去に僕の周りにいた営業スペシャリストの名言で「ゴミでも高額で売ってみせる」といい放っていたのを記憶しているが、 この件も、手段を選ばなければ売ることは可能だという事だ。 まず基本的に法は犯さないという大原則で考えたい。 売っているのが、少女という武器を使わない手は無い。 もちろんいけない大人は、春に走ってしまいがちだが、ここでも武器は、 「家で待ってる病弱な母親がいるので助けてください」 と言ってみる。 または、「今日中に、手術代を稼がないと弟の薬代に困っている」 と声高だかに言うと、周りのモラルのある大人たちは、「可哀想に」と言って、奮発して、マッチを買ってくれるはずだ。 ここでは、マッチを高額で売るという詐欺行為ではなく、可哀想な少女を助けてあげたというボランティア心を売ったという事なのである。

嘘は必ずバレる

こういった方法を使うときの注意点としては、同じ人に二回目が通用しないという事だ。 しかし、少女は、何らかの理由があり、マッチを売っているはずなので、むしろ真実で勝負すればいいだけなのである。 間違っても寒いからといって、マッチで暖をとってはいけないのである。

商売の基本

人は仕事をするのは、生きるために金を稼がなければいけないからであるが、 そのために何かしらの商売をするという流れである。 仕事とは、給料という対価を貰うために行っているはずなので、お金を稼ぐというのは人が生きていく上で必ず必要な行為なのである。

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